学生時代からの夢!やっぱり諦められなかったフランス音楽留学

Bonjour!,c’est pompon!

私がパリに音楽留学してから12年が経ちました。今ではすっかり慣れたフランス暮らしですが、渡仏した当初の右も左もわからなかった頃のことは今でも鮮明に思い出されます。

今回は私が留学するに至ったきっかけや渡仏前の不安、そして渡仏してからのことをお話ししたいと思います。

後悔したくない…遅い留学にチャレンジ

私が留学したいとうっすら考え始めたのは、音楽大学の3年生の頃でした。当時外国人客員教授としてパリ国立高等音楽院の先生のレッスンを受ける機会があったり、国際コンクールに出場して海外の演奏に触れたのがきっかけだったと思います。

しかし卒業が近づき、幸運なことに音楽高校や音楽大学での講師のお仕事のお話をいただき、結局留学はせずフリーランスの奏者として、また講師として日本に留まりました。

しかし2年3年と経つうち、自分の力をさらに高めたいという強い欲求が湧いてきました。また同世代で留学している人の活躍ぶりなどを見て羨ましく思う自分にも、もううんざりでした。

留学するなら日本での仕事を全てやめることにもなりますし、音楽留学生として決して若くない年になっていたこともあり、悩みましたが、今が最後のチャンスと思い決意しました。2004年の夏のことでした。

早速準備開始!学校情報や資金を集める

2005年秋入学に向けて留学準備を始めました。年齢制限の関係もあり、第一志望は超難関でしたので、客員教授から紹介してもらった2つの音楽院も候補に入れ、情報を集めました。

今ほどインターネット上の情報が多くもなかったので、今思えば無駄に時間がかかったりもしましたが、1年弱ありましたので、入学準備は余裕を持って行えました。

ただパリは大都市ですから、家賃や生活費なども多くかかります。できるだけ家族に負担をかけないためにも、多くの奨学生募集に応募し、これらの準備が時間もかかり大変でした。

残念ながら奨学金は得られなかったので、仕事をできるだけ詰め込み、貯金にも勤しんだ1年間でした。

学生時代からの夢!やっぱり諦められなかったフランス音楽留学

いざ出発!不安はまるでなかった

色々な準備やフランス語の勉強、そして練習をしていると1年はあっという間で、渡航の日がやってきました。ようやくパリに行ける、あの街に暮らして音楽の勉強に没頭できる…!日本での人間関係にもちょっと疲れていたこともあり、まさに希望に溢れて飛び立ったという感じでした。

そして偶然パリまでの飛行機で隣の席になったのが高校時代のクラスメイトで、彼女もパリ留学に向かうところだったこともあり、寂しさや不安を感じることなどまるでないまま、12時間のフライトを終えました。

パリ生活が始まる

こうして2005年の9月、パリに到着しました。幸い友人がホームステイでパリ郊外に住んでいたので、そのお宅の一部屋を借り、入学試験や銀行などの諸手続きと並行してその後の家探しをしました。

フランス語は独学だったので、ネイティブのスピードには全くついていけず、手続きや書類などにも四苦八苦したのを今でも良く覚えています。

それでも辛いとは全く思わずに取り組めたのは、助けてくれる友人がいたことはもちろんですが、「ようやくパリで音楽の勉強ができる」という喜びの方が苦労の何倍も大きかったのだと思います。

第一希望の学校には入れなかったのですが、時々レッスンの聴講に行ったりもしました。自分の入学した学校でも綿密なレッスンを受けることができ、そして一流の音楽家である先生の音を間近に毎週聞くことができて、幸せの一言に尽きました。

音楽院での同級生たちは若く、10代や20代前半の子に混ざってレッスンを受けたり、アンサンブルをしたり、一緒にご飯を食べたり。

慣れないフランス語でも、話す機会が増える分だけ語彙力もコミュニケーション能力も高まります。特にフランス人男性は女性に優しいので、こちらが上手く話せなくても丁寧に聞いてくれる人が多いですね。

また演奏会やバレエ、美術館などの芸術に触れる機会が非常に多く、とても安価に足を運べるのもさすがパリ、でした。

とはいえ、今思えばあのフランス語力でよく一人で暮らしていたものだと思いますが…なんとかなるものです。

ハプニングもたくさんあるけれど

もちろん楽しいことだけではなく、ハプニングや困ったこともたくさんありました。

治安があまり良くない地域に暮らしていたため、財布をスラれかけたり、同じマンションの住人が次々とひったくりの被害などにあったり…他にも安全な日本からすると考えられないようなこともありました。

フランス留学生の関門とも言える滞在許可証の申請の際、館内に響き渡る大声で、マイクで口汚く罵られたことも苦い思い出です。

ですが、いつもそこには誰かの助けがありました。友人に限らず、偶然通りかかった人の助けで救われたこともあります。

運が良かった、ともいえますが、フランス人は日本人に比べて「見て見ぬ振り」をする人が少なく、例えばベビーカーを持ったお母さんが階段に差し掛かると必ずどこからともなく誰かの手が差し伸べられます。

パリジャンは冷たいとか意地悪だという人もいるようですが、私はフランスに来て人とのふれあいの大切さやあたたかさを再認識しました。

学校での勉強だけでなく、「異国に暮らすこと」から得られることは非常に多いと思います。一度は諦めたフランス留学でしたが、留学して本当に良かったと思っています。

それではみなさん、Bonne journée!!

ライター名 pompon

・渡航した年 2005年
・お住いの国 フランス
・プロフィール パリに音楽留学したのち、フリーランスとして活動、そして結婚。フランス人の夫と娘、そして猫と一緒にフランス西部の都市に暮らしています。在仏12年になりました。フランスのバカンスシステムを支持する一方で日本の温泉も捨てられないという、日仏いずれをも愛する30代です。