Ahoj!maminka!
チェコには、様々な理由で日本人が住んでいます。仕事で来た人、チェコ人と結婚して住み始めた人、学校で勉強している学生、理由はそれぞれです。
私がチェコに来た理由は、仕事でした。チェコでガラスの仕事がしたくて、今から11年ほど前にたった一人でやってきました。最初は知り合いもおらず、全くゼロからの出発でした。今回は、そんな私の体験談も混ぜながらチェコの仕事について書いてみます。
仕事探しは、人脈
チェコに来たのはいいもの、なかなか仕事は見つかりませんでした。まずは、学生としてチェコ語の勉強をしていましたので、授業が終わると、ネットや人から得た情報を元に、チェコ国内、あらゆる所に行き、ガラスの工房を探しました。
どの工房の人も、小さなアジア人の女がガラスの仕事を探しているのを見て、不思議そうにしました。チェコでは小さなガラス細工を除くと、ガラスの仕事は力持ちの男性のする仕事なのです。吹きガラスも、日本では沢山の女性作家さんがいますが、チェコでは、大抵は男性です。
でも、門前払いした人はいませんでした。みんな、私の話を聞いてくれました。そして、次につながるだろう情報をくれました。どこどこに行ったら、もしかしたら何かあるかも知れないよ、とか、自分がガラスを学んだ学校の話などをしてくれました。
そうやって、人の繋がりをたどっていたら、私を置いてくれる工房が見つかったのです。以外にも、一番近い場所に見つかりました。通っていた語学学校の近くだったので毎日授業が終わると、急いで工房へ直行しました。
ボスは優しい人で、私を最初は見習いとして置いてくれました。そこで2年ほど学んだのち、チェコの自営業許可も取得した私は、正式に働き始めました。
ひとりで頑張らなくていい
私が仕事をしながら一番感じたのは、日本で上司に言われていた「ひとりで出来るようになって一人前」という言葉が、チェコでは全く逆だったという事です。
何とか自分の仕事を認めてもらおうと、小さな私が必死で重い荷物を運んだり、何でも自分でやろうとしているのを見た職人たちは、「それは一緒にやろうよ。」とか、「他の奴にやらせたらいいんだよ。」と言うのです。
そんなことしたら足手まといになるし、ここで働いている意味がないとまで私は思っていましたから、大丈夫だと言い張り、日本で言う「一人前」を目指しました。
ところが周りをみると、職人たちは、重い荷物は隣の職人に声を掛けて一緒に運んだり、他の職人に仕事を任せたりもしていました。こんな力持ちの大の男が、どうして一人で運ばないのだと、情けない男たちだとさえ思った私でしたが、後々に考えは変わりました。
重い荷物を運べないから人に頼んでいるのではなくて、その方が良いから頼むのです。2人で運んだ方が苦労も少ないし、上手に運べるのです。相手の足手まといになるという考え方も、チェコ人にはあまりないようです。頼まれたら助ける、助けて欲しい時は頼むという、お互い様の関係が成り立っているのです。
これがチームプレイというものだと感心してしまいました。個人で必死にならず、みんなで一緒にやるのです。「人に上手く頼めるようになって一人前」という考えに変わりました。
仕事よりも家庭
チェコ人は、仕事よりも家庭を重視します。残業は殆どせず、家にさっさと帰っていきます。仕事の後の付き合い、接待というものは全く存在しません。私がいた工房では、開始時間が人それぞれでしたから、朝7時から働く職人は、昼の3時には帰っていきました。家で仕事がある、庭仕事がある、家を造っているなどと言っていました。
チェコの人は、みんな日曜大工が得意です。何でも手作りしてしまいます。部屋の壁塗りは当然自分たちでしますし、内装のタイル張りや床張り、庭の柵造り、家そのものを自分で建てる人も居ます。ちょっとした家の工事なら業者に頼まず、自分で行うのが当たり前になっています。家庭菜園も大掛かりで、庭で野菜や果物を作っている人もいますし、家でも仕事は多いのです。
しかも、共働きが一般的なので、女性だけでなく、男性も家事や育児に関わっています。子供を病院に連れて行くから仕事を抜けるというのは、うちの工房では当然認められた理由でした。
他にも、子供が春休みで家族でスキーに行くから一週間休むとか、子供に合わせて休暇を取ったりもしていました。
だからといって、仕事を怠けてはいませんでした。しっかり仕事中にやるべきことはしていました。それに、日本人と比べると、大抵の国の人たちは仕事をしない人になってしまうのではないかと私は思います。
チェコを代表する企業
日本にTOYOTAがあるなら、チェコにはŠukoda(シュコダ)があります。これは、チェコを代表する車メーカーです。知らない人はいません。
歴史も古く、1895年に自転車の製造から始まりました。その後自動車を生産、第一次世界大戦で急成長しましたが、工場の火災で大打撃を受け、1925年に国内大資本のシュコダ工業に買収され、ここからシュコダブランドとして自動車の生産が強化されました。
東ヨーロッパの社会主義体制の中、国有化された時代もありましたが、新しいモデルを出したりして、西側社会に影響を及ぼし続けました。1989年に共産体制が崩壊すると同時に外国資本が入り、シュコダ社はドイツのフォルクスワーゲン社の傘下に入り、現在に至ります。
チェコで見かける車は、断トツでシュコダ車が一番多いです。統計によると40%ちかくの人がシュコダ車に乗っています。2位以下は大きく引き離され、フォルクスワーゲン車、韓国のヒュンダイ車が続きます。
チェコの国民的スポーツであるアイスホッケーの試合には、シュコダ社が協賛しており、いつも大きく宣伝されています。大きな試合では、懸賞がシュコダの車であったりもします。
チェコは世界的なビールの生産地でもありますが、その中の一つがバドワイザーです。バドワイザーと聞いて、アメリカかベルギーのビールでは?と思っている人も多いでしょう。
チェコの南ボヘミアにあるチェスケー・ブジェヨヴィツェがこのビールの産地なのですが、チェコは歴史的にドイツ人が多く住んでいたので、ドイツ語の地名・ベーミッシュ・ブトヴァイスとも言われていました。それを短くした「ブトヴァイス」(Budweis)が、バドワイザーになったのです。
どうしてチェコでなく、アメリカやベルギーが産地だと思われているのか。それには理由があります。アメリカ人のアドルファス・ブッシュという人が、アメリカにて自分でビールを売り出したのですが、ビールの名産地であるブトヴァイスにあやかろうと、勝手にそのバドワイザーの名前を使い、商品登録したのです。のちに、この会社はベルギーの会社の傘下に入りました。なので、チェコのビールの名前なのに、アメリカやベルギーのビールだと言われているのです。
ややこしいですが、元々バドワイザーと言われていたのは、チェコのチェスケー・ブジェヨヴィツェで作られているビールということなのです。
チェコのボヘミアグラスも有名で、お土産として観光客にも人気です。日本の大相撲の優勝者に贈られる品物の一つが、チェコボヘミアのクリスタルグラス製カップだという事を知っている人も多いかと思います。とても大きく美しいので、表彰式を見て気になった人もいるのではないでしょうか。
就職状況
チェコでも一般的には、大学を卒業して専門的な知識がある人の方が、給料が良いです。でも、その大学を無事卒業できる人は、とても少ないのです。折角大学に入れても、途中でテストに受からず進学できずに辞めていく人もかなり多いとのことです。
統計によると、その年代の30%の人だけが、大学卒業の資格を持っているそうです。日本では珍しくない大卒ですが、チェコでは大卒が少なく、名誉だということです。
昔に比べると、転職も増えてきました。昔は多くなかったそうですが、ある調査によると、2015年は就職して1年未満に辞めてしまう人が10%はいたとあります。5年以上経つと、職場の半分くらいの人が入れ替わっていたことも。
最近は、仕事を変えて経験を積むことも必要という考え方が広まってきており、若い人たちは簡単に転職するのです。実際、私の周りにも、仕事を変える人は多いですし、独立して自分で会社を立ち上げた話もよく聞きます。
仕事を自分から辞める人もいますが、辞めさせられる人も多いです。失業率は5%くらいなので、決して良い数値ではありません。
まとめ
チェコでの仕事探しは、外国人の私たちにとってはまだまだ難しい事ではあります。私の場合は、自分の足で歩き回り、出会った人から得た良い情報や人脈を逃さないようにして見つかりました。あと、チェコ人の平均給料は14万円くらいなので、日本と比べるとかなり低いです。でもその分、物価も低いです。
そして何より、チェコ人は仕事よりも家庭を重視します。時間内に仕事を終わらせてさっさと家に帰り、家の用事をします。なので、仕事に対する情熱が感じられず、悪く言えば怠けているようにも見えますが、みんながそうなので、それで良いのです。無理せず働いている状態が、私にはとても理想的に見えます。
Hezky den!
ライター名 マミンカ
渡航した年 2006年
お住いの国 チェコ共和国
公用語 チェコ語
プロフィール 11年前、ステンドグラスに魅せられて、チェコの工房で働きたい一心で渡航し、教会ステンドグラスの修復などを学びました。今は5歳と3歳の男の子の母親です。みなさんに役立つチェコ情報を届けたいと思っています。