Buon giorno a tutti ! Sono Miko!
イタリアと聞いて何を思い浮かべますか?ピッツァやパスタといったグルメ、お洒落で陽気な人々、世界的なトップブランドを生み出す国、観光大国、イタリアはそんな魅力の溢れた誰もが羨む国で、日本でも旅行したい国の上位ランキングに位置しています。
世界の旅番組が好きだった私は、イタリアの世界遺産に魅了され、いつか行ってみたい国の一つでした。そんな私がどうしてイタリアに住むようになったのか体験を通してお話をしたいと思います。
イタリアの扉を開くきっかけ
当時会社勤めをしていた私は職場の帰りに英会話教室へ通っていました。英語圏に旅する度に自身の英語力やコミュニケーション不足で毎度落ち込むことが多く、少しでも英語で自信をつけたいと思っていました。そんな海外旅行好きで英語を勉強している私に、会社の同僚が「こんな面白いチャットがあるよ」と、ある海外のサイトを教えてくれたのです。
それは簡単な自己紹介と好きな動物のキャラクターを自身の画像に選ぶと、オンラインの人々が自由に発言出来るというものでした。私の「Hello」という呼びかけに世界中の方々が反応してくれ、次々と英語で会話がなされていきます。これはきっと私の英会話の勉強に役立つと、その日から私はこのチャットに夢中になっていきました。
9800キロを繋ぐ
ある日、私がいつもと同じようにこのチャットルームに入ると一人の男性が「Ciao」と話しかけてきました。プロフィールを見ると出身地はイタリアと書かれています。私にとって英語圏以外の人と会話をする初めての出来事でした。もちろん私は英語以外他の言語は知りません。拙い英会話ながらも自分のことを話すと彼はそれに丁寧に返事をしてくれました。
その日から毎日チャットルームに入ると彼が待っていて、いつしかその時間が楽しみでしょうがなくなっていました。行ったことの無い国。彼が話すイタリアの魅力。それは私がよく見ていた世界の旅番組とも重なり、その出会いから一年後に私は一人で9800キロ離れた国へ向かう飛行機に乗っていました。
イタリアは心の充実
12時間の長旅を終え、初めてイタリアの地に足を踏み入れました。空港のゲートが開くと目の前にはずっとチャットをしていたイタリア人の彼が私を迎えに来てくれていました。あんなに毎日話をしていたのに、実際に会うのは初めてなのでお互い非常に緊張していました。
その日イタリアは30度を超す暑い日で、停めていた彼の車に乗るとエアコンが点きません。すると「イタリアはクーラーの無い車が多いよ。暑かったら窓を開けて。」と彼が言いました。まさかのことに驚きながら飛行機で一睡も出来なかった私は、照り付けるイタリアの太陽と時差ぼけで頭がくらくらしながら、火傷しそうなシートに座って彼の実家へと向かったのです。
どこに行ってもサービスが充実した日本と違い、初めて訪れたイタリアはどこまでもマニュアルな国でした。彼のお母さんは手打ちのパスタを打ち、庭で採れたトマトを毎年瓶詰にして保存食に。朝摘みのバジルで作った自家製ソース。パンはパン屋さんで、お肉は肉屋さんで。何でも売ってるスーパーより小さな個人商店で店主とお喋りしながら買い物を。
そんなイタリアの日常をこの目で見た時、何か私の心に欠けているものが次々と埋まっていくような、そんな心の充実を感じました。なんて素敵な国だろう。それはテレビの情報番組だけでは知ることのできない本当のイタリア生活だったのです。
私はここに住む
初めてのイタリア旅行ですでに私と彼の心は決まっていました。「この人と一緒になるだろう」。それからお互い日本とイタリアと離れた国に住みながら結婚に向けて準備を始めていました。
しかし一つ問題だったのはどちらの国に住むかということでした。イタリアは失業率がヨーロッパの中でも上位で、若者が仕事に就けない現状が続いていました。そんな仕事に就くことが難しい国で正社員として働く彼に私はどうしても今の仕事を続けてもらいたいと思いました。それに日本に住んだとしても先ずは日本語の習得。それにはかなりの時間がかかります。それを思うと私がイタリアに住む決断を下すのが妥当だと思ったのです。
会社の同僚達に祝福されながら、私はとうとうイタリアに来てしまいました。それもこの地で生活をするのです。渡伊する前に地元のカルチャーセンターで「やさしいイタリア語」という語学レッスンを受けました。簡単な挨拶から始まり旅行で使えるようなフレーズなど。数か月の勉強でイタリア語の基礎は学べたつもりでいました。しかしながら買い物一つするのにも言葉が出てきません。「これをください」は言えますが、そこから何か質問されても会話が続かないのです。
移住してすぐに「言葉の壁」という挫折が待っていました。しかしそれが私をこの国で生きていくという覚悟に変えたのです。
イタリア人家族の絆
無事にイタリアで結婚しイタリア人家族の一員となった私ですが、全く言葉が話せないままでいました。ですが夫の家族たちは何も特別扱いをせず、そのままの私を受け入れてくれました。
銀行や郵便局へ行くのも、薬局で薬を買うのも、何から何まで義両親は私の面倒を見てくれました。そんな姿にだんだん申し訳ない思いでいると、「あなたは私達の大切な家族の一人よ。助け合うのは当然じゃない。」と笑顔で答えてくれたのです。
そんな夫の家族に支えられながら、地元の語学学校に通い始めました。イタリアは移民の多い国でもあり、各市ではそんな外国人の為に無料で語学学校を開いてくれている所があります。北アフリカ、東欧、アジアと約6、7か国から年齢も皆様々ですが、きちんと教職の資格を持ったイタリア人の先生が私達に丁寧に教えてくれました。
この語学学校のおかげと普段の生活から得るイタリア語で、私の語学力も飛躍的に向上しました。
あれだけ義両親にお世話になっていた私も、ようやく一人で買い物やお出かけができるようになり、そうなると毎日生きるだけで精一杯だった私の心にも少し余裕が出来てきました。
生活の地盤作り
共働きが一般的なイタリアで私も仕事探しを始めました。一番イタリアで一般的な職探しは「知り合いに聞く」です。職業あっせん会社も巷に多く見かけますが、なかなか自分に合った仕事を見つけるのはイタリア人でも難しい国です。私も会う友人知人に片っ端から仕事の当てがないか「イタリア方式」で聞いて回ると、思わぬ収穫がありました。日本で映像関連の仕事をしていた私はその特殊性もあって、いきなりファッション業界の一部の仕事を得ることが出来たのです。
ネットの求人情報などもありますが、こういった内部の仕事は世間一般に求人が出回らないのです。ここでもイタリアの人と人との繋がりが大切な国民性を肌で感じました。
イタリアの愛情と共に
ケ・セラ・セラという言葉あるように、イタリア語でも同じような「なるようなる」といった意味の言葉があります。細かいことを気にせず大らかに生きていけばきっといいことが待っているよ。という、規律正しい日本人からすると正直何度も「どうして?」と思うようなことがあります。しかし、そんな小さな躓きに当たった時、一緒に悩んだり考えたりしてくれる家族や友人がいて、一緒にピッツァを食べながら全部笑い話に変えてくれました。私はそんな温かい彼らの言葉に何度救われたことでしょう。
全く言葉の分からなかった国。いやましてこの国に来ること自体予想だにしていなかった私でしたが、大切なのは日本人であることの「自分らしさ」とイタリア人社会に馴染もうとする「協調性」だと感じています。
世界で一番世界遺産の多い国イタリア。素晴らしい景色と郷土愛が強くここに生きる人々はこの国を誇りに思い、そして家族を心から大切にしています。そんな愛情深い国に移住できたことをとても幸せに感じています。
こんな私の体験が少しでもお役に立てることを願って。
Buona giornata!
ライター名 Miko
渡航した年 2006年
お住いの国 イタリア
公用語 イタリア語
プロフィール イタリアに嫁いで10年目。家族と一緒にイタリア各地を巡るのが何よりの楽しみ。チーズ好きが高じてチーズテイスターの資格も取りました。