Buon giorno a tutti! Sono Miko!
外国暮らしに憧れていた私にとっては、イタリアに住むことは夢の実現の一歩でもありました。もちろん移住前に覚悟していたことと言えば言葉の問題です。しかし実際暮らしてみると思いもしなかった事態に巻き込まれたり、また日本の家族への思いなども強くなりました。そんな私の苦労体験記をお話したいと思います。
1.言葉の大切さ
イタリアに暮らしているのにイタリア語が話せないのは致命的です。観光地ではトラベル英会話は通じても、いざ生活をしていくとなると英語だけでは通用しません。
街中に溢れる看板の文字や、手に取る物全てがイタリア語で書かれているので、先ずはそれに慣れることから始まりました。一つずつアルファベットを確認しながら読むのも最初は大変なことでした。イタリア語の単語は英語に似ていないものが多いので、全部一からのスタートです。
慣れない対面式販売
個人商店がまだまだ元気なイタリアでは、専門店で買い物をすることも少なくありません。そういう時に、どの食材を何グラム欲しいと店員さんに伝えないと自分勝手に商品を手に取ることは出来ないのです。
移住して間なしの頃、近くのパン屋さんで一つバゲットを買うのにも、頭の中で何回とイタリア語を復唱しながら道を歩いたのを覚えています。しかし、いざ店員さんを目の前にすると頭が真っ白になって言葉が出て来ず。結局身振り手振りで説明して、一つパンを買うのにも大変苦労しました。
語学学校に通い、家族と過ごすことで日々イタリア語は身に付いてきましたが、それでもまだまだ。今でもずっと勉強中です。
2.滞在許可証が取れない
合法的にイタリアに長期滞在するにはビザが必要です。旅行で訪れる場合3か月間はパスポートだけで滞在可能ですが、イタリア人と結婚した場合配偶者ビザが必要なのです。すぐに管轄の入国管理局で申請をしたのですが、その不愛想な態度といったらありません。外国人というだけで高圧的な態度を取り、イタリア語が不自由な外国人には平気で汚い言葉を浴びせます。
そんな状況に委縮してしまいこちらから質問するのも戦々恐々でした。そして言われた通りの書類を提出しても「まだこれが足りない」と、何度も追い返されます。この人達は本当に滞在許可証を発行する気があるのだろうか?と疑いたくなる程に不信感を抱きました。
恐れていては前に進めない
しかし何度もこれを繰り返すうちに、怯えているだけでは何も解決にならないと、こちらからも質問や正当な理由を話すように努力すると、ある日、まるで目の前の霧が晴れたかのように、滞在許可証の発行許可が下りたのです。
この話は10年ほど前のことで、現在は入国管理局の態度もかなり変わり、かなり改善されたようですが、それでも毎度の更新時期が近づくと当時の悪夢を思い出すのです。
3.困ったイタリア電車と自己責任
正確な時間や規律正しい行動に慣れている私達日本人にとって、なぜ?どうして?は時間の感覚の違いでした。
ある日、初めて電車で街まで出ようと駅で待っていると、予定時刻になっても電車の来る気配がありません。時刻表には9時に到着とあります。ホームも間違っていないし、それに何もアナウンスが無いのです。私だけでなく他にも同じ電車を待っている人がいるのですが、全員それをおかしいとも思っていない様子です。
そうこうしていると20分も遅れて電車はやってきたのです。当然私は「ありえない!」とイライラしたのですが、そんな出来事が毎回続くので、段々イライラする自分が馬鹿らしくなってきました。電車は遅れるもの。と思ってしまえばそれで済むことです。
壊れるって何?
ある日、相変わらず定刻に来ない電車に乗っていると、急に途中の駅でガタン!と停まってしまいました。何事か?と思ったら車掌のアナウンスで「この電車は壊れました。これ以上先に進めません。」と言うのです。
乗客は全員降ろされ、私は初めての出来事で右往左往。見知らぬ駅でどうすればいいのかパニックになりました。しかしながら他の乗客は「またか。」といった様子で特に驚きもせずそのままホームで待ち続けます。
すると後方から代替えの電車がやってきたのです。日本なら時間通りに電車が来て、アナウンスで次の停車駅も告げてくれます。それに電車が途中で壊れるなんてことはありません。
こちらでは電車は遅れるもの。「予定通りに目的地に着きたいなら自分で全部責任を持ってください。何が起こるかは私達にもわからないのですから。」が鉄道会社の言い分です。それから私は大切な用事がある時は1本早目の電車に乗るようにしています。
4.無から有を作り出す
移住者にとって何が大変かと言えば、やはり「日本食」ではないでしょうか。イタリア料理は日本人にも馴染みがあるのでとても美味しいのですが、どうしても続けて食べていると和食も恋しくなります。大きな街では沢山日本食レストランもありますが、家庭でも気軽に作りたいものです。しかし日本のように食材が揃っているわけではありません。
私は郊外の更に小さな町に住んでいるので、豆腐や味噌、醤油といった基本の食材さえ手に入れることは難しいのです。そうなると人間考えるのは「自分で作ってみよう」と行動を起こすようになるのです。
全部自分で作ってしまおう
ある日どうしてもうどんが食べたくなり、小麦粉と塩、そして水を入れて麺から作り始めました。予想以上に美味しくできたので、もしかしたらラーメンも作れるかもしれないと、中華麺を作成。手打ちパスタを作るパスタマシーンが大活躍して、なんとラーメンまで自分で作れてしまいました。もちろん餃子の皮や肉まんなどは朝メシ前。手作りするのが当たり前になっています。
食材に関しても工夫し、イタリア野菜で和食を作ることもあります。春先が旬のカルチョーフィという野菜。(英名はアーティチョークと言います。)これを調理するとちょうど竹の子のような味に。土佐煮にしたり炊き込みご飯の具材としてもとても良く合います。それからトピナンブールという子芋のような野菜。(和名は菊芋)芋と名前は付いていますが、食感がパリパリとしていてまるでレンコン。きんぴらにして食べるとこれがイタリア野菜で作ったものだとは思えません。
最近では永住している日本人の方が自宅で味噌作りを始められました。1年じっくり寝かせた自家製味噌。お裾分けしていただいたものをお味噌汁にして頂くと、とても味わい深く甘味があって感動しました。
日本のように便利じゃないけれど、工夫して自分で作ってみれば結構何だって手作り出来ることに気付きました。またそうして出来たものは安全で自分への自信にも繋がります。何も無いと嘆くのでは無く、無から有を生む力は私達にはあるのだということを気付かされたのです。いや、ただ食い意地が張っているだけかもしれませんが。
5.外国に住む日本人とのお付き合い
急激な環境の変化と言葉の問題で、とにかく日本語に飢える時期があります。夫との会話は英語かイタリア語。やはり全て自分の感情を多言語で表現するのは難しく、そんなもどかしい時に探すのが日本語を話せる相手です。
幸いなことに、こんな小さな田舎の町にも数人日本人を見つけることが出来ました。同じようにお互い日本語を欲していたのか、すぐに意気投合し、お互いの家を行き来する間柄になりました。しかしそのうち日本人であるが故に、お互いの状況に少しでも変化があるとそれを敏感に捉えられてしまうことが分かってきました。
例えば住んでいる家が大きいとか小さいとか。週末家族でどこか旅行をしてきた。結婚をしてすぐに子供に恵まれた。などなど、普通に生活をしていて当たり前だと思う状況が、外国に住む日本人同士という小さな枠組みの中で起こると、それが目障りに思われたり、嫉妬心に変わることが分かってきたのです。もちろん全員がそうだとは限りませんが、それに気付いた時、あえて日本人探しをするのを止めようと思いました。
私はイタリアに住むことで、何を目標に生きているのか考える良いきっかけになりました。私は日本人であることを誇りにイタリアの中で生きていきたい。そう思うと、イタリアに生きる日本人の皆がそれぞれにイタリア社会で苦労して頑張っている姿が尊いと思えました。もちろん時々日本語で気兼ねなくお喋りできるお友達も必要ですが。
6.最大の覚悟
移住する時、次はいつ会えるのだろうと、搭乗口のゲート前で大粒の涙を流しながら両親と抱き合って別れました。そんな別れから数年、それは突然やってきました。父親の危篤の知らせを受け取ったのです。覚悟はしていましたが、今自分がイタリアにいる状況ですぐに実家に戻ることの出来ないもどかしさとやるせなさで、ただ泣く事しかできませんでした。移住する際は新しい国に住むことへの希望と不安が心の大部分を占めていましたが、反対にそれは親しい家族や友人との永遠の別れも示唆していました。
今ではインターネットやSNSの普及で、遠くにいてもお互いの状況がすぐに分かる時代になりましたが、それでもお互いの温もりを感じられる距離はやはり遠い。急いで飛行機で帰ったものの、実家に到着すると既に父親は帰らぬ人となっていました。
このことが移住の最大の後悔と言うとそうではありません。両親は私がイタリアに行くことをとても応援してくれていました。搭乗口で流した涙は覚悟の涙でした。絶対にこの国で幸せになって生きていくからね。だからずっと見守っていてね。そう決心してこの国に来たのです。
移住して10年。少し成長した私を父親は天国で誇らしく思ってくれているだろうか。そう父親を偲び、イタリアで更に頑張って成長していきたいと思っています。
7.今までもこれからも
イタリアに移住した苦労話などを紹介しましたが、最後に今も「大変だな」と思うことはイタリア人とのコミュニケーションです。
沢山の知り合いは出来ましたが、本当に友達と呼べる人は僅かです。イタリア人の会話のテンポはとても早く、それを同じように返そうと思うとそれなりの語学力も必要になってきます。それに乗り遅れたり、自分の意見が言えないでいると、つまらない人とみなされすぐに会話の輪から外れてしまうのです。
とにかく自分の日々の努力を試されるのがイタリア人とのコミュニケーション。10年在住していても毎度自身の不甲斐なさに当たるのがこの場面です。しかしこれはイタリアに住み続ける限り私の永遠の「課題」。大変だと思ったり後悔したことは全部自身の成長に繋がると思い、これからも沢山の壁を一つずつ家族の助けをかりながら乗り越えていきたいと思います。
それでは。
Teniamo duro!! Buona giornata!
ライター名 Miko
渡航した年 2006年
お住いの国 イタリア
公用語 イタリア語
プロフィール イタリアに嫁いで10年目。家族と一緒にイタリア各地を巡るのが何よりの楽しみ。チーズ好きが高じてチーズテイスターの資格も取りました。